2018.01.31 執筆コラム 30cm斜め後ろ

公益社団法人 日本マーケティング協会発行 『MARKETING HORIZON』2018年1号掲載

テレビで嵐の面々が「そうか、平成30年か。そうか、年賀状書くか。」と爽やさを振りまきつつ、平成の30年間を振り返るCMを見た。7枚1,980円という日本郵便の(!)商品である「嵐年賀状」の存在をその時は知らなかったので、素直な懐かしさとともに穏やかな気持ちで、30秒の中に繰り広げられる30年間のダイジェストを眺めていた(ぼったくりであろうが何だろうが、嵐年賀状が来たら、ちょっと、いや、かなり嬉しいに違いないのだが…)。

昭和から平成に元号が変わった時の風景を覚えているであろう、ある一定以上の年齢、おおよそアラフォー以上の人たちは「ちょっと前のことのようにも思えるけれど」「もうそんなに前のことなのか」「そりゃそうだよね、当時は自分も○○だったもの」と、やや感傷的な気分でこの30秒を眺めていたのではないか。それぞれの出来事を思い出すと言うより、それぞれの出来事の時に自分がどこで何をしていたか、その時誰と一緒にその光景を眺めていたのか、そんな当時のことが一瞬のうちに蘇ったのではないか。そんな気持ちにさせるCMが、年賀状のCMであることも、なんだかずるい。

メールというより、いまやSNSでの新年の挨拶が当たり前だからこそ、年賀状の距離感は独特だ。特別に親しいとか、他人行儀な間柄だとかとは異なる、独特な間柄。SNSで繋がっているわけでもなく、滅多に会うこともなく、しかし関係性を持っておきたい友人であるとか、自分の事を覚えていて欲しい人たちであるとか。何年かぶりに会っても、すっと当時の関係が蘇ると信じられる関係にある人たち。物理的には遠くても、気持ちはどこかで寄り添い合えていると思える人たち。惰性で繋がっている人もいないわけではないけれど、手書きで近況が添えられてくる人たちとは確かに繋がっているのだと信じられる。

どこかで寄り添え合えていると思える関係。

なんとなく、こんな関係が心地良い。べったりでもなく、遠くもなく。うるさくはないけれど、お互いの事をわかり合えているような安心感(錯覚でもいい、錯覚と気付かないならば)。知ったようなことを言うこともなく、しかし、いざという時には言葉にする前に察し合えるような関係(錯覚でもいい、…以下略)。もはや幻想の域かもしれないが、そんなわずかな幻想をまとっていることが、激減傾向にあっても決してなくなりはしない年賀状の根強い魅力なのだろう。

「顧客に寄り添う」と標榜する企業は多い。

寄り添う、ってどういうことだろう。

顧客に、お客さまに、生活者に、あなたに、暮らしに、とさまざまなバリエーションがあるが、果たして「寄り添う」ってどういうことなのだろう。そもそも一緒に住んでいる家族にすら寄り添えているのかわからないのに。あるいは、一緒に働いている仲間にすら寄り添えているかどうか戸惑うのに、顧客に寄り添う、ってどういうことなのだろう。

近くに寄って、添う関係性。それは対面して向き合う関係ではなく、横に並んで同じ方向を見るイメージだ。

しかも、それはべったりとくっついて並ぶような関係性ではない。少し指先を伸ばせば触れることができる距離。つかず離れず30cmくらいの斜め後ろを一緒に歩く感じ。

「生活提案」や「暮らし提案」をする企業の側からすれば、斜め後ろへ振り返ったところにいるお客さまに手を伸ばしたいところであるが、どう考えても今はお客さまの方が一歩も二歩も先を歩いている時代。振り返って手を差し出してもらうのはわたしたち企業の側だろう。

手を差し出してもらえるような存在であること。つまり、ほどほど近くにいて、わかりやすい魅力を発し、手に取りやすい存在でなければ、もはや手を伸ばしてもらうこともなく、また、寄り添うことすら叶わない。

iPhoneのSiriさんはじめ、各種AIスピーカーの当意即妙な受け答えと手回しの良さに慣れ親しんでくると、それらこそが寄り添ってくれる存在であるような気になってくる。決して気分を害するようなことを言わず、求めたときのみ接点が生まれ、自分以上に「わたし」を知っている存在の寄り添い感はいずれ最強なものになるかもしれない。家庭内の会話に耳をすませ、お風呂場から聞こえる「ママ~、シャンプーなくなっちゃった」の声に応えて、「いつものアレ」をネットショップに注文しておいてくれたりする気の利くヤツ。そんな暮らしに慣れるのはきっとあっという間で、すぐにいつも側にいてもらわないと困る存在になるに違いない。それは不可逆的だ。 ブランド・ロイヤリティは本人の中には存在しなくなる。より無自覚に購入し、使用し、リピートする。30年後を待たずとも、既にその動きにわたしたちは寄り添われている。

そのうえで、これからの「寄り添うこと」のひとつのあり方をつくっていきたい。

照れや、緊張感。ほんの少しの不安とか、ささやかな負荷。少しだけ頑張れば乗り越えられそうな弱点や弱み。それらの存在こそが、寄り添いたい、手を伸ばしたいと思ってもらえる魅力になるのではないか。アナログ的商品が進化しながら人気を博している現象も同様だ。

手書きのメッセージが書かれた年賀状ってやっぱり嬉しいよね、と思う人がいる限り、こうした絶妙な距離の寄り添い方はなくならない。が、30cm斜め後ろの関係性、問題はそれが非常に難しいと言うことだ。そっと手を差し出せること、また差し出してもらえること。そして、手が届く距離のところにいつもいること。生活者と企業とのそんな関係性実現のために、2018年も取り組んでいこう。

(BGM「キャンティのうた」アンデルセン物語)