公益社団法人日本マーケティング協会発行の機関月刊誌『MARKETING HORIZON』2019年3号特集テーマ「永久に輝く美しい沼へようこそ 宝塚にみる良質な沼の育て方」にて、弊社代表のツノダフミコが執筆を担当いたしました。
永久に輝く美しい沼へようこそ 宝塚にみる良質な沼の育て方
無尽蔵。沼が沼たる絶対条件のひとつが尽きることなく湧き出る魅力だが、数多ある沼の中でも、とてつもなく眩しく、しかも深みにはまればはまるほどその果てしなさを実感する恐ろしくも美しい沼。それが今年105周年を迎える宝塚歌劇団(以下、宝塚)だ。
ファンはファンタジーの共犯者
“タカラヅカ”というと巷ではしばしば色眼鏡的に見られるが、かの小林一三翁が発案し、阪急が本気で取り組んでいるからこその105年の歴史であり、100年を超えてなお毎年前年比を更新し続けて成長し、今や海外からも支持されているグローバル・コンテンツである。その独特な世界観を表す代表的な言葉が「清く、正しく、美しく」。新年口上等の節目の際にも一三翁によるこれらの文字が必ず舞台に掲げられるが、宝塚はファンと事業関係者一同が暗黙の了解のもと、一致団結してこの世界観の実現に取り組むことで成立している。
そのひとつの例が「フェアリーに年齢はない」。
宝塚には年に一度発行されるプロ野球選手名鑑(またはポケモン大図鑑)のような、約400人余の全生徒(宝塚では劇団員たちを「生徒」と呼ぶ)のことがわかる「宝塚おとめ」という名鑑がある。舞台化粧ではない普段化粧の着物姿の顔写真とともに、誕生日、出身地、出身校、身長、初舞台作品、好きな役や今後やってみたい役、好きな花、好きな食べ物、特技、芸名の由来、そして愛称などが掲載されており、初心者ファンの必携の書であることはもちろんのこと、沼歴の長いファンにとってもご贔屓(推し)の昨年からの変化を楽しむために欠かせない一冊である。
ミッシェル・バッハのクッキーが好き、などという詳細情報が掲載されている一方、唯一明記されていないのが生年、即ち年齢である。実は、宝塚ではすべての生徒は「フェアリー」なので年齢がない、ということになっている。一応定年は60歳ということになっているものの、在団中はキャリアを積んでも歳はとらないフェアリーであり、(人間界に戻る)退団するまで年齢が明かされることは一切ない。むろんファンにとっては周知の事実ではあるが、「すみれコード」と呼ばれる「清く、正しく、美しく」を守るためのいくつかのお約束ごとにファンも参加していることになる。リアルとファンタジーの絶妙なさじ加減がそこに生まれる。
上品な健全さは正義
舞台の上の一人ひとりの生徒は汗を光らせながら歌い踊っている、紛れもない生身の人間である。にも関わらず、先述の通り年齢を持たないフェアリーたちが演じると、どんなに極悪非道な愛憎恋愛劇であっても生々しさはない。溢れ出る色気はあっても、美しさや上品さに昇華される。下級生たちで構成されるラインダンスも相当きわどい衣装で脚を高らかに上げるが、色気というより健康美。健全な明るさがそこに生まれ、親子揃っての鑑賞に堪えうるコンテンツとなる。親子三代の宝塚ファンはもちろん、祖母、母、伯母、本人、いとこという「一族5人タカラジェンヌ」という血統も現れてくる。
実際の舞台上では、すみれコードギリギリの「え、そんなことしていいの?」と大人も赤面するような場面も多々展開されているのだが、いつ、何を観ても「清く、正しく、美しく」の一三翁の遺訓のもと、世代間口の広げるお上品マジックが仕掛けられている。
リアルでシビアな育てゲー
「育てゲー」といわれる育成プロセスを楽しむゲームがあるが、宝塚はリアル育てゲーの要素を多分に持っている。多くのアイドルシステムの原型と言われているが、目利きのファンは毎年、春の宝塚音楽学校の合格発表時から贔屓を見つけ、応援し続けるという。まさに青田買い。
役の名前も台詞もない「その他大勢」の時代から有形無形の応援をしながら、その生徒の成長を親のような気持ちで見守ることも大きな楽しみ。台詞がもらえた、役が上がった、衣装のラインストーンやスパンコールの数が増えた、プログラムの掲載写真が大きくなった、フィナーレの階段降りの順序が上がった等々、出世状況が残酷なほどに分かりやすく見える化されている世界、人気とスキルが必ずしも比例しないケースもあるが、いずれにしてもファンは一喜一憂、ハラハラしながら応援する。
厳格な年功序列に加え、非情なほどわかりやすい階級制の中、そこで戦っているフェアリーたちは夢々しいだけでなく、とても逞しい。宝塚では男役十年といわれているが、上級生になればなるほど、その芸に磨きがかかっていくのはもちろんのこと、身体的にも無駄な贅肉が削ぎ落とされ、シュッとした姿に自信と憂いが漂うようになる。それまでのとてつもない過酷なお稽古と葛藤をファンは感じ取るからこそ、その舞台に励まされる。女性管理職に宝塚ファンが多いといわれるが、組織の中で戦う同志として投影できる面があるのだ。ファンもまた生徒に育てられている。
彼の親友を好きになる甘美な背徳感
冒頭、宝塚歌劇団が105周年を迎えたと書いたが、105年もの間ファンに愛され続けているのはとりもなおさず、飽きが来ないからに他ならない。
時に40倍を超える狭き門を潜り抜けてきた美しい生徒たちが毎年40人宝塚音楽学校を卒業し、入団してくるのだ。それまで応援していたご贔屓が退団し、一時的にはロス状態から蟄居の身となっても、やがて観劇活動を再開すると、ある日突然、めぐり会いは再び訪れる。恋に落ちるのに理屈がいらないように、沼に落ちるのもまた理屈不要である。気が付くとその人だけを観ている状態。それは時にご贔屓の在団中にも訪れることがある。なにしろ舞台上には見目麗しい生徒たちがふんだんにいるのだ。「私ったら、ほんとは○○さんが好きなのに、どうしてさっきから□□さんばかり観ちゃうんだろう、やだ、どうしよう…」と誰からも咎められない甘美な罪の意識に密かに悩み、悦ぶ。お馬鹿さんですね。
大河ドラマとの共通点「みんなが知っている」
贔屓の連鎖もあれば、役柄や演目に端を発する連鎖もある。宝塚といえば一般的には「ベルサイユのばら」(以下、「ベルばら」)が有名であるが、今年は「ベルばら」初演から45周年を迎える。この間、オスカル編やフェルゼン編などの他、果ては外伝まで生まれ、幾度となく再演されてきた。ファンはもはや水戸黄門や遠山の金さん的な楽しみ方を見出しており、また、舞台上でもイベント時にはパロディ化されている。
「ベルばら」の背景はフランス革命だが、実はフランス革命自体も沼のひとつだ。ベルばら以外にもフランス革命を扱った演目は非常に多いため、「□□さんが演じたロベスピエールが素敵」が高じて、いつしか「ロベスピエールが好き」となり、ネットの海から帰還できなくなることもしばしば起きる。もはやその演者が好きなのか歴史上の人物が好きなのか、境界が曖昧になる。宝塚ファンと歴女のベン図を描くと重なりは決して小さくないはずだ。
フランス革命以外では新撰組に代表される幕末ものも帰還困難になるコンテンツである。ご贔屓が坂本龍馬を演じたばっかりに、ひとりで京都へ赴き、池田屋、寺田屋、近江屋の跡地を巡り、護国神社で墓参の際に近くの土産物店で贔屓の直筆サインを発見して驚喜したり。やっぱりお馬鹿さんですね。
ちなみに、フランス革命、幕末もの(今年は浅田次郎の「壬生義士伝」も登場)のみならず、歴史物だとオーストリアのハプスブルク家(必修)やらナポレオン・ボナパルト、ホレイショ・ネルソン、中大兄皇子、石田三成、天草四郎から白洲次郎までカバーし、さらに今後はチェ・ゲバラや藤原鎌足までもが美しい姿になって登場する。
また、こうした世界の歴史・日本の歴史にとどまらないのが小説やコミック、ゲームを原作にする演目である。「ベルばら」もコミックが原作であったが、「銀河英雄伝説」「ルパン三世」「るろうに剣心」「戦国BASARA」「逆転裁判」「花より男子」「はいからさんが通る」「ポーの一族」など枚挙に暇がない。元々の宝塚ファンにとどまらず、それぞれの沼の住民たちも劇場へ訪れるため、ただでさえ取りにくいチケットがますます取りにくくなる、という現象が生まれる。事実、こうした公演の際のロビーはいつもとは少々毛色の異なる人たちの姿が見られ、新たな沼クラスタが取り込まれたことを実感する。
人気の出る大河ドラマがそうであるように、それなりに語れる人が多い史実を扱うと誰もが「私にとっての大河解釈」でお互いの妄想を楽しみ合えるのと同様、同じことが劇場やSNSの中で展開し、沼は果てしなく拡がっていく。
コトの記念のモノ消費
ライブ会場や歌舞伎座の物販同様、わたしたちは「せっかくだから」という大義名分で消費する。タオルやTシャツを買っているのではなく、訪れた証を買っている。
プログラムや公演バッグはもちろんのこと、たとえば新撰組のだんだら羽織をモチーフにした、文具にあるまじき価格のクリアファイルやマスキングテープを、せっかくだからと懲りずに買っている。使われないまま溜まっていくクリアファイルの厚みは何を語るのか。千秋楽とともに売り場から撤収されることがわかっているからこそ、そこに時限の価値を勝手に見出す。
さらに宝塚の場合は「好きな人への操」の証という購買動機もある。表向きは品行方正なすみれコードを守りながらも、ファンの行動心理を巧みに転がす宝塚の営業努力と商品開発力のきめ細やかさには見習うべき点があまりに多い。
決して枯れることのない、澄み切った水を湛え続ける美しい沼には、長い月日を経ながらできあがった仕組みがある。京都の御茶屋遊びのように、メジャーでありながらもちょっとしたお作法があることで身内意識が強まったり、見えない振りをしてファンタジーに加担してみたり。
時代を超えて連綿と受け継がれてきたとてつもない幸せな時間。その沼を105年間輝かせてきたのは、満面の笑みに包まれた共犯意識なのだ
ツノダ フミコ (つのだ ふみこ)
株式会社ウエーブプラネット 代表
生活者調査・研究からのインサイト導出、コンセプト開発を多数支援。調査結果からインサイトまでをシームレスに構造化する協調設計技法Concept pyramidやインサイト・インタビュー研修などの人材育成にも注力。宝塚ファン研24。座右の銘は「観劇回数は数えるな」。花と雪で拗らせ中。