2016.01.25 執筆コラム Prideという体幹でしなやかに未来を歩む

執筆コラム

公益社団法人 日本マーケティング協会発行 『MARKETING HORIZON』2016年1号掲載

未来予測の無力感

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一番確かな未来予測データである人口推計を除けば、わたしたちは既に予測しにくいどころか、予測できない、あるいは予測そのものの意味が薄れつつある時代に生きている。書店に行けばビジネス書の棚には「中期計画は意味がない」とか「10年後の予測はするな」というようなタイトルが踊る。それも一理あるのかも、と思ってしまうほど一年前のことすら色褪せるのが早く、あらゆることがあっという間に消費され彼方へ消えていく。

未来予測は毎年の年中行事としてあちこちで行われているものの、劇的に変わっていく未来の風景を理屈や数字を越えて共感・実感していくことは、なかなかに難しい。技術でできることが、わたしたちにとって嬉しいものとは限らない一方で(技術開発担当と、生活者インサイトからの企画担当のマリアージュはもっと積極的に機会開発していく必要がある)、技術が一夜にして新たな喜びや嬉しさを覚醒させることもある。

過去50年分の、5年先の未来

過去からの延長線上に描かれた未来予測が無力化した典型的な例はスマートフォンだ。それまでは「電話機」として「場の自由化」「軽量化」「小型化」「高機能化」という枠の中でひたすら進化していた携帯電話であるが、iPhoneの登場により携帯電話はそれまでの「電話機」の域で語るものではなくなった。

iPhoneの登場が2007年(日本では2008年)。まだ10年も経ていないにも関わらず、わたしたちの暮らしのこの激変ぶりはどうだろう。一人で喋りながら道を歩いている人を見ても、もはや誰も振り向いて驚くことはない。電話中なのね、とみんな寛容だ。それどころか近い将来、電話で喋るという行為自体も消滅するかもしれない。

LINEのAI女子高生りんなやSiriさんたちと、「すごいねー、ちゃんとわかるのねー」ときゃっきゃ言いながら楽しんでいる70代80代の姿を見ると、スマホという超小型PCの前では「シニア」という属性は意味を持たず、この現実こそが、目の前の未来だと感じる。

変化の速度は、これからますます速くなる。5年先の未来は、過去50年分以上の変化の先にある。

しかし、生活の舞台装置が変わり、わたしたちの動きが変わることはあっても、目的そのもの・本質そのものが変わるわけではない。音声だろうが、動画、テキスト、スタンプだろうが、誰かの存在を確認していたい、その思い自体が変わらないように。

あなた自身が本当にそれを買いますか?

「できる」ことが、そのまま「したい」ことには繋がらない。これもできます、あれもできます、と「できます」のフルコースを並べても、求める気持ちがそもそもなければお客さまは動かないことを、企画開発者やマーケティング担当者はイヤと言うほど味わっている。完璧なロジックと、あらゆる調査で基準をクリアする結果が得られていたにも関わらず、残念な結果に終わった経験は、どこの企業の誰にでもあるだろう。

情報もモノもあまりに増え過ぎ、ひたすら短時間で消費され消滅していく現在。お客さま自身も、もはや処理しきれなくなってきている状態は、昨今の定点調査からもうかがえる。市場も売上も拡大しているカテゴリーにも関わらず、調査結果の数値が前年より低下傾向にあったり、非助成で得られる情報が年々減少してきたり。購入時には店頭でスマホを取り出してまでランキングや評価を気にする慎重さがあるにも関わらず、購入したその直後から商品関与度は低下し、「情報としての商品」は消費されきってしまう。モノとしては使い続けても、意識されない存在になってしまうのだ。

常に合理的な選択をするとは限らないお客さま像の「リアル」は、どこにあるのか。

まずは担当者自身が「リアル」として何度も強く自問する必要がある。「自分は本当にそれに対して自腹を切れるか?」「本気でそれを欲しいと思うか?」「家族に買って帰ったら本気で喜んでくれるか?」と。

また、開発担当者の自分事としての強い想いと、膨大な「非合理の集積による合理」を見せてくれるビッグデータの掛け算も、新たな「リアル」の在処だろう。

情報技術の進歩や技術革新は、ますますわたしたちの生活を変えていく。しかし、どんなに新しいものが登場しても、わたしたちは楽しくないものや、心地良くないものには手を出さない。これからの時代、新たな価値を創るわたしたちには、千本ノックの如く、とことん楽しいこと・心地良いことを描き倒していくぐらいの気概と覚悟が求められている。

「体幹=Pride」を鍛える

変化が激しい時代だからこそ本能や直感を大切にして強い想いで、と言葉で書くのは簡単だが、それを実行していくことは非常に難しい。何しろ、これまでの一般的な社会においては、本能や直感という類いは疎まれがちだったのだから。むしろそれらを封印することを歓迎する側面もあったほどだ。

が、本能や直感をサポートする仕組みや情報も整いつつある今、どれだけそれらに自覚的になれるかが勝負になる。Google社をはじめ、瞑想を取り入れる企業が増えてきていることは、その現れだ。

ストーリーのある商品が強い、ストーリーがファンを創る、と言われ、ストーリーが問われる時代である。お客さま自身もストーリーを見極める感度が上がってきている。本物のストーリーか否かを反射的に感じ取る。骨太のストーリーは、ブレのない企業姿勢から、そしてそれは鍛えられた体幹=Prideがあってこそ。好きなものは好き、イヤなものはイヤ。おかしいことは、おかしい。判断の軸こそが体幹だ。

これは商品やサービスに限った話ではない。今、各地の自治体でCivic Prideが意識されるようになり、取組が始まっている。市議を4年間務めた川崎市においても、議会で粘り強く質問・提唱したCivic Pride醸成への取組が始まったが、地域への愛着や誇りの高まりは、その土地の治安・文化・経済のステージを高めていく。ストーリーやPrideは絵空事などではなく、実益そのものなのだ。

これからの強い人・強い企業・強い地域のために、確かな体幹を鍛えていこう。直接見ることができない体幹こそが、どのような変化にも対応できるしなやかな未来をつくっていくのだ。