2014.09.08 執筆コラム 「ゆるメン」はゆるいオトコではない

公益社団法人 日本マーケティング協会発行 『MARKETING HORIZON』2014年9号掲載

「ゆるキャラ」はもちろん、「ゆるキャリ」や「ゆる家事」に比べてもまだまだ市民権を得ていない「ゆるメン」。そもそも検索しても「ゆるいメンバー」「ゆるいメンタル」等々の略称としても登場する程度の「ゆるメン」である。ちなみに、ここでの「ゆるメン」とは「ゆるいメン(男性たち)」を指す。

それでは、そもそもゆるメンとはどのような人たちのことを指し示すのか。この特集号の中にもそのヒントは数多くあると思うが、他の「ゆる」を考察しながらゆるメンまでたどり着いてみたい。

ゆるには本来機能がある

まずは「ゆる家事」。一般的な「ゆる」の一側面、よろしくない意味として「だらしない感じ」があるのだが、ゆる家事は「だらしない家事」とは一線を画している。むしろその逆で、気持ちいい暮らしのためにはやることをちゃんとやるためには、最低限やることをちゃんとやろうよ、そのためには型やルール・これまでの常識に縛られずに、自分なりのやり方やスタイルでもいいよ、というものである。

共働き世帯の増加や、外での働き手の多様化による家事の担い手の多様化が進行、さまざまな家事に対する省時間化・省手間化・創価値化商品の登場で、家事スキルや家事知識の常識は既に世間一般常識の体をなしていない。掃除とは、洗濯とは、料理とは「こうあるべき」「こうでなければならない」という方法や手段の作法における呪縛から解放し、「キレイだと気持ちいいよね」「簡単なのにおいしいね」というように結果満足度をある程度満たせばOKと考えるのが「ゆる家事」。

家事に対するハードルを下げることで、家事参加意欲を減退させない考え方だ。

「ゆるキャリ」はどうだろう。2006年に「ゆるキャリ」を著作の中で提唱した葉石かおり氏によると「キャリアをあきらめた人のことでもなく、ゆるゆるのキャリアでもない」とし、氏の「『ゆるキャリ』5カ条」によると「1.自分の『閉店時間』がある、2.『自分軸』がある、3.今の仕事が心からスキ、4.心許せるパートナー(友人、家族含む)がいる、5.自分がスキ」となるらしい。これだけ読むと、まったくゆるくない。むしろ高度な自律能力とセルフマネジメント能力を必要とすることがわかる。いっそ心頭滅却火もまた涼しで脇目も振らず働く方が楽ではないかと思えるほどだ。もっとも現在、一般的に使われている「ゆるキャリ」は「バリキャリ」の対語として存在していることからわかるとおり、バリバリ働くと言うよりはほどほどに働きながら少しずつキャリアを形成していく働き方と言える。常に100点満点の成果を重ねるためにライフイベントをコントロールするというより、ライフステージの変化をうまく吸収しながら常に70点を取り続けるイメージだろうか。

いずれにしても「ゆるキャリ」においてもまた、キャリアを放棄したわけではなく、むしろキャリアを形成し続けるための「ゆる」であることがわかる。

つまり「ゆる」とは、その本来機能を満たすことが最低限の条件であり、単なるだらしなさや怠慢であることを意味するものではないのだ。必要とされる本来機能の獲得方法においては、そのやり方やスタイル、あるいは完成度そのものも、各々の主体の事情や嗜好を尊重しよう、というものである。

ゆるメンの5カ条とは

そこで「ゆるメン」である。「ゆる」の定義が上記のようなものであるとすると、問題になるのは「メン」の部分の本来機能だ。果たして現在の社会において、「メン」には何が求められているのだろうか。

経済的な生活力は女性でも既に十分に手にしている。肉体的な力仕事が必要とされる場面は日常では稀であり、かつ、それを代替するようなツールやサービスは充実している。ゆえに、従来型のわかりやすい男らしさは本来機能ではないだろう。

物理的な機能においては代替が充実しているからこそ、代替できない情緒的価値、ロマンスの要素が「メン」の本来機能として求められているのかもしれない。

ゆるメンの条件を考えてみよう。まず、決して(男性であると言うことだけで意味も無く)威張らない。自分の世界や好きなものを大切にしている(安易に妥協したり、人に合わせないけれど、仲間は大切にする)。清潔感がある。表情、話し方や仕草などのどこかしらにふにゃ、としたところがある。その一方で、一生懸命になれることを追求する熱さも持ち合わせている。そう、間違っても単にだらしがない男やさぼり癖のある男性ではない。

こうして条件を書き並べると「そんなヤツはいない」となるだろう。そう、「ゆるメン」はある種の幻想なのかもしれない。今を生きる女性たちの。

ゆるメンは現代社会の必然の産物

「ゆる家事」や「ゆるキャリ」的なペースを保ちながら穏やかな毎日を送りたいと願いつつも、バリキャリか否かに関わらず日々の仕事で心身共に消耗。家に帰り着く頃にはエネルギーレベルも限りなくゼロに近付き、ゆる家事どころか家事レス的な寝るまでの時間を過ごし、スキンケアもそこそこに眠りに就く、そんな暮らしにおけるひと筋の光、一片の癒やし、カシウエアのようなふわふわしたやさしさで包んでくれる存在、おそらくそれが「ゆるメン」なのだ。

彼らはテレビや舞台の上でのみ存在するのかもしれないし、脳内限定の幻影なのかもしれない。しかし、「ゆる家事」や「ゆるキャリ」が「ゆるくてもいいから、やらないよりはやっておこうよ」というある種の必然の発想から生まれたように、「ゆるメン」も女性たちの必然の志向(嗜好)であるのだろう。

また、ゆるさは「許し」にもつながっている。自分自身を認め、許してくれる(くれそうな)存在の意味を含んでいる。「~しなきゃだめ」「~するべき」といった無言の圧力の中で息苦しさを感じる現実社会、「それでいいんじゃない?」と受け容れてくれる存在が圧倒的に不足していることの発露としてのゆるさであり、「ゆるメン」ではないか。

たとえば、対峙するこちらもがんばることを求められる(と感じる)SMAPは「ゆるメン」ではない。一方、普段から女子的なつるみ方でお互いに仲が良く、ほわんとした空気感が漂う嵐は「ゆるメン」度が高い。

アベノミクスや東京オリンピックに向けての景気高揚策の中で、人々の心のバランスをとる存在として「ゆる」はますます必要とされるし、女性にはリアルであろうとバーチャルであろうと、「ゆるメン」の存在こそが支えとなっていくだろう。