2013.08.19 執筆コラム 本能と五感の支配力

公益社団法人 日本マーケティング協会発行 『MARKETING HORIZON』2013年7号掲載

このところ話題になったもののひとつに、誕生から今年で(あるいは、もうすぐ)50年を迎える、というモノやサービスがある。ちょうど1964年の東京オリンピック開催と前後して、日本中が高度成長期ならではの勢いの中で、次々と新しい暮らし、新しい喜び、新しい便利さを手に入れていた時代。それまでにない画期的な商品も列挙し尽くせないほど数多く生まれた。それでは、その倍の年月を経て近々100歳を迎えるもの、即ち戦火を潜り抜けて生き残ったものはどのようなものがあるだろうか。

1912年(大正元年)には寶焼酎が生まれ、1913年(大正2年)には森永ミルクキャラメルが現在の商品名になっている。どちらもレトロ感漂う復刻版を目にすることがあるが、だからといって現行商品と大きく違わず、しかもそのどちらにも古くささを感じることがない。その姿が当たり前のものとして、あまりにわたしたちに馴染んでいるからであろうか。吉本興業は1912年に生まれているが、その2年後、第一次世界大戦が始まった1914年には宝塚歌劇団も生まれ、来年100周年を迎える。

ジャニーズ事務所やAKB48でも宝塚のビジネスモデルともいえるスターシステムが色濃く採用されているが、変わらないために常に変化している―― 即ち、多くの人が知っている「清く、正しく、美しく」という華やかなお伽噺の世界をお客さまに楽しんでもらい続けるために、トップスターの新陳代謝を促し、若手スターをファンと共に育てていくプロセスそのものを巧みに商品化し、また舞台だけではなくCS放送における専門チャンネルや雑誌、数種のサイト、音楽・映像の配信などメディアの進歩に歩調を合わせて、スターとの接点を多様に設けることで新規顧客開拓とファン育成に努めている。プラチナヘアのオールドファンが語る宝塚と、今どきの高校生が語る宝塚、ともにうっとりとできる世界観として重なりを保持しながら、それぞれがそれぞれの楽しみ方でのめり込める受け皿づくりを維持してきた点が劇団として100年続いてきた秘訣であろう。

少し時計を進めると1918年(大正7年)には玉露園こんぶ茶が、翌1919年(大正8年)にはカルピス、森永ミルクココアがそれぞれ誕生している。

今となっては、それらは決して最先端なものではないが、当時はいずれも画期的な商品として市場を創造したものばかりである。

また、現在に至るまで時代に合わせた用途や派生品も多く生まれている。玉露園こんぶ茶はお茶としても調味料としても用途提案が繰り返されているし、カルピスもフレーバーバリエーションや機能別に栄養強化したアイテムが追加されている。森永ミルクココアも新しい飲み方提案だけでなく、健康面に訴求したシリーズを整えている。しかし、何があろうと中心にある本体は決して期待を裏切ることなく、いつでも同じ佇まいでわたしたちの前にいる。わたしたちは、その対価以上の価値や満足を必ず得ることができる、と安心している。もはや魔法のようにそう思い込んでしまっている。「これを買っておけば間違いはない」と。

似たようなものや同じようなものが目の前に並んでいたとしても、それらはカテゴリーを創ってきた自負を纏っており、ゆえに揺るぎがない。

なぜ、それほどまでに揺るがないのか。どうしたら揺るぎなく100歳を迎えることができるのか。

それは、わたしたちの本能や五感に対する、圧倒的な支配力ではないだろうか。

キャラメルの味と言えば森永ミルクキャラメル、というのと同じように、昆布茶と言えば…、ココアと言えば…、カルピスと言えば…、歌劇と言えば…、と絶対的な基準になっているだけでなく、厭わず原点回帰したくなるほど本能が、五感が、その魅力を覚えているのだ。

アヒルは生まれて最初に見た動くものを親と認識するそうだが、本能や五感への最初の刷り込みを行う者は、今や企業の手を離れ、親から子へ、子から孫へ、と世代を超えて受け継がれていき、ファンが常に次のファンを連れてくる構造になっている。果たして、今さらこれらに学ぶところはない、と思うだろうか。既に時の流れのスピードも時代環境も異なるのだから参考にならない、と横目で眺めるだけにとどめるだろうか。

この大きな生活の変化を伴った100年もの間、お客さまに支持されて続けてきたものたちには、わたしたちが想像する以上の「すごさ」が潜んでいるに違いない。そうでなければ生き続けることはできない。本能や五感を支配できるだけの底力。「今さら」と構えず、わかった振りもせず、とことん紐解いて解明していく価値が今こそあるのではないだろうか。