2004.03.01 執筆コラム 何よりも実感サプライズが欲しい!

公益社団法人 日本マーケティング協会発行 『MARKETING HORIZON』2004年3号掲載

このごろのマーケティングにおいて「サプライズ」という単語を頻繁に見聞きする。その多くは、顧客のニーズやウォンツに応えるのは当たり前、いまやサプライズが伴わなければ顧客に振り向いてもらえない、いや、気付いてもらうことすら難しい、という文脈に乗るものである。

確かにモノや多様なサービスが溢れかえっている時代故に、存在に気付いてもらうことは何よりもまずは重要であるし、飽きられないという意味においてもサプライズは不可欠な要素である。

TDR(東京ディズニーランドリゾーツ)は「行くたびに新しい楽しさがある」というのがハード、ソフト共に最大の価値である。「永遠の未完」を断言している背景には、永遠にサプライズを提供し続ける、という覚悟が感じられる。新しい業態を創出したディスカウントストアのドンキホーテも、常にサプライズを提供している。人によってはアミューズメントとしての魅力の方が上回っているのではないだろうか。

モノにおいてもインパクトのある商品、話題性の高い商品にはサプライズが付きものである。今でこそ当たり前となった衣料用コンパクト洗剤や「クイックル」が代名詞的存在になったペーパーモップ類などは、売り手と買い手の双方に強いインパクトをもたらした。売り場が変わり、購買行動が変わり、使用シーンが変わり、さらに新しい使用シーンとターゲット(高齢者や乳児のいる家庭での掃除頻度の向上)に対する意識を顕在化させた。

こうした一連の生活行動のパターンを一変させたインパクトの大きさは、単にニーズを詳細に把握していくだけでなく、得られたニーズをどのように具現化していくか、自社の強みをどのように活かしていくか、顧客を何によって振り向かせるか、という幾重ものハードルをクリアして行ってこそサプライズに仕立てることができたものであろう。

ところで、サプライズは上記のような外向きのインパクトをもつものだけではない。一見すると目立たなくても、強烈なサプライズを感じさせているものもある。例えばそれはハブラシである。ライオン株式会社の「デンターシステマ」がそれだ。購買行動や歯を磨くという行為そのもの、つまり顧客側における外的変化は何もない。しかし、磨いた者だけが実感する独特の感触に一度魅了されたが最後、他のハブラシを使う気にさせないほど、使うたびに「これでなければ」との思いを抱かせる。まさに「中毒」ともいえる状態である。10年以上の時間と共にじわじわと育ったトップシェア・ブランドにはそれに相応しい裏付け、即ち、色褪せせずに毎日実感できるサプライズがあるといえる。

それぞれ異なるいくつかの例をサプライズという軸で串刺しにしてみたが、そのどれもが一回限りの虚仮威しではなく、そのつど感じられるサプライズがあると同時に、それが高いロイヤリティ獲得に繋がっていることがわかる。

顧客の基本的機能に対する要求は生活と市場の成熟とともに高まり、「当たり前」のレベルも高まった。一方で溢れかえる情報の海の中、「○○は△△というもの」式の予習(構え、ともいえる)が頭の中では常に行われている。また、情報と同時に店頭でもメディアからも常に刺激を受けており、刺激慣れしている一面もある。しかし、だからこそ「実感サプライズ」がますます優位に働くのだろう。

頭が理屈に納得しても、体が共感しなければ人の行動は変えられない。実感サプライズは常に五感へ訴求するので、その顧客にとって理屈の部分はおまけみたいなものであろう。

さらに、何よりも実感サプライズはそのたびごとに教えてくれるのだ、自分自身の判断力や選択力が正しかったことを。たとえ数百円のものであろうと、数時間だけを過ごす場所であろうと、絶対に「損をした」とは思いたくない。損や失敗をしたくないだけでなく、とにかくそんな自分を認めたくないのだ。それはデフレ下における単なる消費行動の保守化ではなく、今や自尊心にも関わることにすらなっている。

実感サプライズに従っていれば間違いがない、との思いが、強い実感サプライズ・ブランドをますます強くしていく。逆に実感サプライズに疎い顧客や、実感サプライズが存在しないカテゴリではより低価格のものへと流れるのは必至である。しかし、たとえ、より低価格のものが支持されていたとしても、心の奥底では誰もが次なる実感サプライズを待ち望んでいる。それこそが現在最大の「ニーズ」なのかもしれない。