公益社団法人 日本マーケティング協会発行 『MARKETING HORIZON』2014年7号掲載
アナ雪と専業主婦願望の類似点
近年最大のヒット映画『アナと雪の女王』を、ようやく遅ればせながら鑑賞した。ミュージカル仕立て前半は、宝塚ファンの私も心躍るシーンの連続で、鼻歌まじりでポップコーンに伸びる手もリズミカルになる。しかし、映画最大のカタルシス・雪の女王エルサの独唱『ありのままで』直後、だんだんと眉間にシワがより、ラスト近くでは首を傾げる結果となった。
「エルサ王女さん、あなたの“ありのままの自分”って、ティアラを投げ捨て髪を解き、スリット入りのセクシーなドレスに着替えて、朗々と歌いながら壮大な氷の城をバーンと建て、一人だけで引きこもって住むことだったの?!」
世の女性たちが何度もリピートし、カラオケ状態で歌いならが鑑賞し、爽快感を味わっているという映画。しかし、私は映画から帰宅しても何とも言いがたいモヤモヤした気持ちが、どうしても拭いきれなかった。
この気分は、最近の若い女子大生たちに専業主婦願望が増加しているデータを見た時と、極めて類似していたことに夜もふけた頃に気付いたのだ。
1980年代後半、男女雇用機会均等法改定により女性の総合職の道が開け、女性たちが家庭から社会へ向かって“ありのまま”の自己実現のために一歩を踏み出してから四半世紀。世界では女性の大統領や首相も珍しくなくなってきた時代となった。その一方、キャリアウーマン先進国と思われたアメリカでは未だに女性大統領は誕生せず、最近話題となっている書籍『ハウスワイフ2.0』(2014年文藝春秋)で紹介されているように、高学歴&高収入の職を辞して専業主婦に走る女性たちが目立ってきているとのこと。
ああ、女性たちのフロンティアがオウチに向かっているのは日本だけではないのだ。エルサが息のつまる我慢を強いられる生活より、氷の城で自由を手に入れるために、社会から逃げ出し引きこもったように、アメリカでも女性たちが家庭へ向かっているのか!
「ワーママって大変そう」イメージの流布
我が国のワーママたちは、仕事に家事に育児にと走り回って本当に大変そうである(いや、実際に大変だが…)。そのうえ更に、マスメディアでは密かに“働くママは大変そう”な印象を強化し、刷り込んでいるのだ。
ドラマやCMでは、働く女性を応援しますと言いながら、その実、ワーキングマザーのネガティブイメージで溢れている。最近のグーグル検索アプリCM『ファーストママ』篇は、職場復帰するワーママをカッコよく描き応援することを意図し制作されたのだろうが、あんなバタバタした生活、イマドキ、誰も憧れません!1日中、スケジュールアプリに次の予定を急かされ、昼食は仕事しながらサンドイッチをつまみ、夕方になればアプリが帰宅を催促、坂道を駆け登り保育園にお迎えのラストシーンで「頑張ったね」と子どもを抱きしめる笑顔カット。“ああ、またワーママのネガティブCMだ”と、思わずアタマを抱えたほどだ。被害妄想気味な私には「共働きは自分にも子どもにも“頑張る”ことが強いられます」と、太文字のテロップが透けて見えるのだ!ワーママ応援広告は、“ワーママ生活が大変”イメージのサブリミナル広告なのだ。
そんな働くママ大変そうイメージが蔓延しつつある世の中で、アラフォーから若い世代にまで、じわじわ支持を集めてきているのが、専業主婦的イメージの雑誌『VERY』風のライフスタイルだ。ちなみに専業主婦“的”とあえて表記しているのは、『VERY』読者の過半数は有職女性で専業主婦は少数派であり、誌面では職場ファッションなどが頻繁に紹介されている。しかし、有職といえどもプライオリティは家庭に重きを置いており、仕事との両立を目指していない。だから、価値観の軸をオウチ中心にしたライフスタイルは、ワーママよりも専業主婦“的”と言えるのだ。
この専業主婦的な生活は、ワーママ生活とは大きく異なる。家庭内なら自分のペース配分でOKだから、職場のようにバタバタと時間に急かされることもない。オンリーワンなママだから夫や子どもに感謝されて、他者との競争や比較評価される心配もない。オウチという城に引きこもっていれば、“ありのままの自分”で無理な頑張りもいらないのだ。加えて、マスメディアからのバックアップ体制も万全だ。芸能界で大増殖中のママタレントたちが、専業主婦的生活のポジティブイメージをテレビやブログで垂れ流し、ファッショナブルに家庭を楽しむ様子をこれでもかとアピール。それら全てが合算され“家庭中心な生活って楽しくて素敵そう”イメージが浸透してきているのだ。
オウチ城ライフに憧れる男子&女子
産まれた時には、浦安には既にディズニーランドがあり、ディズニープリンセスのキャラクターに囲まれて育った世代の女子大生たち。プリンセスの仕事は、お城の中で可愛く着飾り、愛する王子さまと幸せに暮らすことだ。小学生時代にSMAPの『世界で一つだけの花』を口ずさんだ彼女たちは“ナンバーワンにならなくていい、もっともっと特別なオンリーワン”と、競争することより自分らしく人生を楽しむことが素晴らしいと教わり成長している。オンリーワンな自分なりのプリンセス像を追求したくなるのは当然だ。
一方で、このオンリーワンな世代の女子たちは、非常に賢く、消費もライフプランも堅実、自分が現実的におとぎ話のプリンセスのような生活をできるとは思っていない。ただ単にプリンセスのようなイメージを“理想として憧れている”だけのことだ。
アンケートで問われれば「専業主婦に憧れる」に躊躇なくYESと答えられるのは、あくまでも『願望』と割り切っているからだ。彼女たちのリアルな本音は、「フルタイム勤務のワーママは大変そうだから、派遣やパートで家計を助けつつ、家庭に軸足を置いた専業主婦気分の生活を楽しみたい」というものである。そんな、オウチの城に引きこもる専業主婦気分のプリンセスたちは、女性の社会進出を叫びキャリアウーマンの道を切り開いてきた女性たちに比べ、身の丈の幸せを“ありのままの自分”と感じることができる。ガラスの天井を突き破ろうと理想を持ったがために満身創痍になるキャリアウーマンより、堅実で地に足のついた非常に賢い女子たちと言えるかもしれない。
拙書『喜婚男と避婚男』(新潮新書2011年)では、バブル崩壊後失われた20年の間に、男性が社会からオウチに自分の軸を移した経緯を紹介した。日本的な年功序列システムが崩壊し、会社という居場所を失ったが、ゲーム・インターネットなどの家庭内インフラが整備され競争やストレスのないオウチが、男性にとって心地良く幸せを感じる新天地になった…という内容だ。そして、今、政府主導で女性の社会進出を推し進めようと躍起になっている中、逆に女性たちもオウチ志向を強め、専業主婦というプリンセスライフに憧れを強めているのだ。
男子と女子が揃って“ありのままの自分で”オウチ城での幸せを目指そうとすることを、内向き志向とか、格差が広がるとか、揶揄して煽るのは簡単だ。しかし、2回前のワールドカップ後に“自分探し”の旅に出た中田ヒデが未だに諸国漫遊しているように、もともと“自分”なんてものは、見つかるはずのない幻ではないか?何十年も前の歌手(?)あのねのねが「ありのままに生きようとした蟻は、ありのままだった」とギャグソングで真理をつぶやいていたではないか!“ありのままの自分”は、幻以外の何者でもないのだ。
どうせ幻と分かっているなら、せめて幻ぐらいうっとりと憧れることができる内容の方が気分も上がり楽しく、何よりタダ、ゼロ円のエンタテイメントだ。 “ありのままの自分”を追求し、オウチ城の専業主婦を目指す女子たちを、厳しい社会を生きぬくための人間の変化と考えれば、その行く末は霧の中であってもハッピーエンドの物語になるよう、星に願いをかけずにいられない。