2010.01.01 執筆コラム 「わたし」が実感できる価値を求めて・・・

公益社団法人 日本マーケティング協会発行 『MARKETING HORIZON』2010年1号掲載

相変わらず続く不況の流れの中にあった09年は、消費することそのものの意味が大きく問われた一年でもあった。自己表現型から自己実感型へ、実感の内容ごとに変化した傾向を見てみよう。

なんで買わなきゃいけないの?

昨年11月に刊行された『「嫌消費」世代の研究』という書籍の帯に「クルマ買うなんてバカじゃないの?」とあった。同書の中では、従来とは異なる今の20代後半世代における消費傾向について述べているが、遣えるお金があっても消費しないこの価値観は、いまや他世代にも静かに及んでいる。

09年はハイブリッド車がヒット商品としてあげられたが、「嫌消費」的視点から見れば、エコカー減税や1000円高速なども含めて「エセエコっぽい」と冷ややかに評されることだろう。

これまでは買うことの理由や大義名分を用意することで維持できた消費があった。しかし09年、その潮目がはっきりと変わったことを感じている人は多いだろう。

「どうして買わなくていいものを買う必要があるの?」という至極真っ当で健全なこうした意識が顕在化し、(こんなにいいものなのにどうして売れないのか?)、(こんなに安くしているのにどうして買ってくれないのか?)という企業側の思惑を一蹴する傾向に拍車をかけた。

低価格商品が話題になり、既存品もこぞって値下げを行ったが、生活者は「安いから」という理由だけではもはや買わない。「わたし」に対する寄与内容にこそ対価を支払うのだ。消費という言葉が既に馴染みにくいことは言うまでもない。

不安対策に武装としての資格

「わたしの不安」を軽減してくれる味方は魅力的である。何事においても悲観的だといわれる就職氷河期世代以下においても、根拠なく楽天的だといわれるバブル世代においても、既に定年を迎えたいいとこ取り世代のシニア層においても、それぞれがそれぞれの不安を強く抱えている。

就職氷河期世代以下は、何にお金を遣うよりも貯金したい、との傾向がある。備えあれば憂いなし、は預貯金額だけに留まらず、スキルや知識、資格などの「わたしの武装」にも向けられていたが、09年は趣味的資格・検定よりも仕事に直結しやすい免許型資格に人気が集まった。

シニア・ガールズ市場の幕開け

バブル世代の、とりわけ女性は著しく元気に見えるが、その実、更年期不安と戦っている。若い女性向けの雑誌の休刊が相次いだ09年であるが、更年期前後の女性向け雑誌は不気味なほど勢いがある。バブル期同様の消費マインドに支えられ、寄る年波に対抗するための手間暇お金は厭わない、いいお客さまである。雑誌の特集に躍る「SST(しわ、シミ、たるみ)」「家庭と彼の胸。どちらがあたたかい?」「若手メンズは一刀両断:座談会『話しかけたいのはこの髪型の人』」という軽やかな文字面もひたすら前向きである。

また、この世代のおひとりさまは老後も不安である。老後不安はシニア層においても同様であるが、こちらでも平均余命が長い女性の方が危機管理能力は高い。この分野の不安はまだまだ輪郭も曖昧で、諸事の煩雑さから不安に対する明解なアプローチが未成熟である。

今後ますます長くなる「老人未満期」の不安を抱える「シニア・ガールズ」に対しては、これからがチャンスである。

わたしの生活も仕分けしたい

事業仕分けが話題になったが、生活における仕分けニーズも高まった。先にあげた就職氷河期以降の世代は、そもそも無駄を取り込む余裕が精神的にも経済的にもなかったわけだが、モノ消費で育まれた上の世代にとっても余りあるものに囲まれている居心地の悪さは何とかしたいことであった。

09年春からは「下取り」セールが話題になった。これは小売店が来店促進の策として打ち出したものではあるが、利用者にとっては下取りの対価として手にしたお買い物券以上に、不要物を処分できた清々しさが価値となった。おうちの中を見直す機会を提供されたこと、そして気付きを得たことが、その後のモノとの付き合い方に及ぼした影響は小さくはないだろう。

ネット上で第三者が互いに確認しあう家計簿はお金の、手帳市場の拡大は時間の、それぞれの仕分け意識を高めた。

ともすれば自問自答の閉じた堂々巡りになりがちな仕分け作業をてきぱきと助けてくれ、「わたしの生活」から無駄を一掃してくれる「仕分けナビゲーター的商品やサービス」はまだまだ拡大するだろう。

「わたしの証」を手にする喜び

「手をかける」「手を動かす」ことへの関心も高まった。書き心地にこだわったノートや筆記具市場の活況や通称「東大生ノート」のドット入り罫線ノートの09年1600万冊を超えるヒットなど、手書きが注目された。

また大きな拡大を示している家庭菜園向けの苗市場。庭の果樹園化やミニ農園化、ベランダやキッチンのプランターで育てる花やハーブ。育てる楽しみと食べる楽しみをおうちに取り込む人たちが急増した。

09年3月、銀座に「マイスター・バイ・ユザワヤ」がオープンした。エレベーターとエスカレーターで挟まれたひときわ目立つ場所に「デココーナー」がある。既製品にひと手間かけてつくる、わたしだけのオリジナル。ユニクロをキラキラのストーンやファーでデコる、通称「デコクロ」も人気である(デコ部分の方が高くつくことも多い)。

こうした事象に共通しているのは、「おうち」においてその人だけが手にできる「実感」の魅力である。効率性や生産性、仕上がりの美しさだけを考えたら、おそらく出来合いのものを買ってきた方がコストパフォーマンスははるかにいいだろう。しかし、欲しいのは「モノ」ではない。

手をかけている実感とその実感を得るひとときの時間の価値は、「わたしが関与する隙や機会の価値」として高まり、一方通行の消費ではなくなった。

景気が回復しても、消費はかつてのような状態には決して戻らない。ものを買わなくても快適な生活・暮らし心地のいい生活ができることを不況を通じて学び、体験した。もちろんそれは安くて高品質な商品を提供してきた企業努力の恩恵でもある。

既に変化している「わたしの生活」を前提にした企業活動を展開しなければ、人々が対価を支払ってくれる商品やサービスを提供することはできない。今までの消費の理屈はすぐに手放す勇気が必要だ。

一人ひとりの「わたしの生活」をともに慈しむスタンスで、商品やサービスを捉え直していきたい。