2010.07.01 執筆コラム 「ヤワラちゃん」をマーケティング視点で考える

公益社団法人 日本マーケティング協会発行 『MARKETING HORIZON』2010年7号掲載

夏の参議院選挙が終わった。本稿では国政の行方やある特定の候補者について語るのではなく、あくまでも今回の候補者擁立劇から感じたマーケティングの難しさについて述べてみたい。つまり、以下では商品の記号として便宜上「ヤワラちゃん」を使わせていただくが、当選者である彼女を誹謗中傷するものではない。

さて、「ヤワラちゃん」は一見すると最強の釣書を持っている。たとえば、女性、子育て、スポーツ、ワークライフバランス、クリーンなイメージ・・・といった要素をこれでもか、と言わんばかりに「盛っている」。お客さまの関心やニーズ(機能)の多くをカバーし、しかもその強みレベル(性能)は飛び抜けている。非の打ち所が見当たらないのだから、企画開発者はこれまでにないほどの自信を持っている。

が、いざ市場に出してみると、お客さまの反応が予測・想定していたものと何か違う。確かに多数から受容される要素には恵まれ、話題性も高い。が、単なる好き嫌いとは別の、「それってどうなの?」という厚い磨りガラスのような雰囲気にも覆われたようだ。

つまり、お客さまは「確かに(その機能も性能も)すごいと思うけれど、なんとなくウソっぽい」と感じたようだ。それぞれの要素は確かに立派で魅力的。が、それらをメリハリ付けずに訴求されすぎると、何が本質なのか、どこに本気があるのかが見えにくくなる。

なんとなく漂う「こども騙し感」

実は、同じようなことはマーケティングの現場でも多く見られる。生活者のインサイトに迫らずに、表層的な流行りで開発した商品や、売れ筋他社の二番煎じを表面だけ真似た商品。安くさえすれば売れると思っている価格戦略。一見すると、売れる要素には事欠かない強い商品である。 おそらく市場に出る前の社内プロセスでは、ロジックもわかりやすく、非の打ち所がないシナリオだったに違いない。いや、そもそも「ダメかも」と思いながら市場に出す企業はあるまい。

しかし、そうした商品やコミュニケーションと出会った消費者たちの中には「なめられている気がした」「なんとなく腹が立つ」と感じる人が多いことを、さまざまな調査で見聞きする。

では、いったい何が違うのだろうか。

「とりあえずコレを付けておけば」「とりあえずコレを言っておけば」「とりあえずこの価格なら」という悪い意味でのフットワークの軽さ。企業の本気やこだわりの代わりに、市場ウケを狙った「とりあえずこれで」というイージー感。企業内ロジックでは筋が通っていても、その実、お客さまを「この程度で」と甘く見る「上から目線」と「こども騙し」感を、お客さまは無意識の中に感じ取る。

企業の本気こそ商品開発のコアになる

機能や価格の高低やブランドを問わず、わたしたちは商品やサービスが自ら発する本気という「気」のようなものを、安心感や信頼感に裏付けられた魅力として感じながら、日々取捨選択している。商品を通した企業の本気度は、恐ろしいほどわかってしまうものだ。

桃屋の「辛そうで辛くない少し辛いラー油」が、いまだに品薄状態が続いているのも、あのクリスピーなニンニクに対する本気ゆえ。いくら類似品がより安い価格で登場してもお客さまの正直な反応は店頭でわかる。

キユーピーのドレッシング「味わいすっきりシリーズ」は定番風味の新しいアレンジだけでなく、ユニバーサルデザインを採用した中栓が簡単にあく新キャップが画期的な商品だ。おいしいのは当たり前、味わって頂くお客さまとのあらゆる接点での「より良く」を追求している本気の企業姿勢がしっかりと伝わる。

企業の本気や一生懸命を、自社本位・業界本位ではなくお客さま本位で伝えていけば、お客さまはちゃんと反応するものだ。

一見もっともな企画内容であっても、上から目線の安易なこども騙しに対し、予めそれをきちんと感じとれる感性と、市場デビューの前に自社内でダメ出しができる組織こそ、真にお客さまに向き合っていると言えるし、またお客さまからも信頼とともに支持される。いわゆるタレント候補者がこれまでよりも苦戦した様を見ていると、この流れが今後よりいっそう強くなっていくことは間違いがないだろう。